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大成功ムスタング、そして・・・
1964年デビュー、一大センセーションを巻き起こしたスペシャルティーカー、フォードムスタングマッハT
1973年のフォードサンダーバード。最初はスポーツカーとしてスタートしたサンダーバードだが、今は高速ラグジュアリカーに変身している。

1962年に、フォード社は史上最初に3000万台のV8エンジンをつくったメーカーとなり、おなじ年,元レーサーのキヤロル シェルビーが、カリフォルニアに会社を設立し,イギリスの”AC”のシャシーにアメリカフォードのV8エンジンをつんだ、強力なスポーツカーをつくりあげた。1960年代なかごろの最速のロードカー、”シェルビーコブラ”がそれである。1960年代中期,小型のフォードエンジンがヨーロッパのレースを席巻するいっぽう、フォードV8エンジンは、アメリカのモータースポーツを牛耳るにいたった。その端緒(たんしょ)は、1963年のインディアナポリス500マイルレースだった。ジムクラークの乗った”ロータス フォード”が2位に入賞して、一大センセーションをまきおこしたのである。フォードエンジンつきのインディマシンはこのレースに革命をもたらし、それまでの重いフロントエンジン車は,軽量のミドシップ V8エンジン車にとってかわられるようになった。さらに、国際スポーツカーレースのため、フォードは”GT40”をつくった。1968年、69年と2年連続してルマンを制覇した車だ。いっぽうフォード社は、生産車の分野においても,きわめて野心的な作品を発表した。それが”フォードムスタング”であった。1964年のことである。
 当時サンダーバードが2座モデルとして成功をおさめいたが、そろそろ変更の時期にさしかかっていた。ムスタングの開発は、これにかわるモデルとして計画された。開発にあたったのは、リーアイアコッカ。彼は、若者に照準をあわせてニューモデルをつくることにした。当初ムスタングは、18万台がつくられる予定だった。だが,アイアコツカはムスタングの出来ばえがおおいに気にいり、ついに初年度に36万台を生産することにふみきった。これは大きな賭けだった。エドセルが20万台を目標にしていたことを考えればなおさらのことである。
 しかし、心配は無用だった。ムスタングは売れに売れ、それまでの初年度の販売世界新記録であったフォードファルコンの41万7174台をも突破したのである。36万台では少なすぎたのだ。
 ムスタングはあらゆる意味でのヒット作だった。これは、ハードトップつきのコンパーチブルと2+2モデルとして発表されたが、きわめて多数のオプション装備が用意されていた。エンジンは、直6、3.3ゼから、200馬力以上にたっする4.7L,V8まで各種あり、外観のドレスアップや性能向上用のオプションも多数あった。
 この時期は,ヨーロッパにおいてもドイツとイギリスのフォード社が強力な市場を維持しつづけ、”タウナス””エスコートル、”コルチナクの輸出もきわめて順調だった。
さらに1970年代になると、両フォード社の協力体制はいつそう緊密になり、ごくわずかに仕様はことなるが、おなじモデルが生産されるようになった。
1977年のフォードの最大の話題は、イギリスフォード社が、利益の大きい小型車市場に足場をきずくためにまったくのニューモデルを発表したことである。”フィエスタがそれで、957ccと1117ccのエンジンが選択でき、内装の種類も多い。これにくわえて現在、イギリスフォード社には、”エスコートマークU”、”カブリ”、そしてイギリスで最大の売上げをほこる”コルチナウークW”がラインアップにのせられている。
 いっぽう本家のアメリカのフォードの現在の車種は、モデルチェンジをほどこした第2世代のムスタング(”ムスタングU”)および”サンダーバード”、そして、広範囲にわたるファミリーカーからなっている。”ピント”、”マベリッグ”、”グラナダ”、”LTD”がそれである。
 なお、リンカーンおよびマーキュリー、エドセルに関しては、それぞれ別個に記述することにする。

1974年・マスタングマッハU

市場調査に凍えをみせるフォードは、アメリカ車のなかにつぎつぎと新ジャンルをうみだしている。その代表的なのが、1964年の最初のムスタングで確立したスペシヤリティーカーないしはポニーカーとよばれるジャンルである。ムスタングUは、この初代ムスタングの後継車で、1974年にデビューしている。ただし、サイズの小型化をはじめ大はばなモデルチェンジをうけているため、初代ムスタングのすごいばかりの迫力はない。スピードも遅く、全体に性能もおとなしくなっていた。これは、石油危機以後の、アメリカ車にたいするさまざまな法的規制がもたらした結果でもある。要するに、ムスタングUは、いまやスペシヤリティーカーの名にはふさわしくない車となっていたのだ。とはいえ、人気だけはいぜんとして高く、発表以来毎年20万台近くがコンスタントに生産されていた。
、2ドアと3ドア・2+2の2種類があり、エンジンは、2.3L直4(92馬力)、2.8LV6(99馬力)、2.8LV6(103馬力)、5LV8(134馬力)の4種類がある。このうち、5LV8を標準装備とする最上級モテリレは、初代ムスタングに冠せられていたネーミングをゆずりうけ、「マッハT」とよばれている。 コンペティション用サスペンション、ラリートリム、パワーステアリング、サーボブレーキ、熱線リアウィンドウ、サンシャインルーフ、エアコンは、オプション装備。なお、日本での標準販売価格は、マッハTが370万円であった。

日本メール・オーダー発行 世界自動車大百科(1982)より
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